「定年後は組織に縛られず、自分のスキルで生きていきたい」。そう決意したとき、最初に迷うのが「自分はフリーランスになるのか、それとも個人事業主なのか?」という疑問です。長年、明確な身分保障の中で生きてきた公務員にとって、この定義の曖昧さは大きな不安要素ではないでしょうか。
実はこの二つ、対立する言葉ではなく、視点の違いに過ぎません。しかし、どちらの立場を取るか(正確には、開業届を出すか出さないか)によって、退職後の税金の額や社会的信用、さらには手元に残るお金に数百万円単位の差が生まれることをご存知でしょうか?
この記事では、元公務員であり会計実務の経験を持つ筆者が、公務員OBが選ぶべき「正しい肩書き」と、退職直後に絶対に行うべき手続きについて解説します。再雇用を選ばず、自分の力で「じぶん年金」を作ろうとするあなたにとって、この記事が転ばぬ先の杖となるはずです。曖昧な知識を整理し、胸を張って第二の人生をスタートさせるための準備を始めましょう。
フリーランスと個人事業主の違いとは?元公務員が教える「定年後の肩書き」正解選び
公務員を辞めたら、私は何者になるのか?
定年まであとわずか。長年勤め上げた組織を去り、再雇用を選ばずに自分のスキルで生きていくと決めたとき、最初に直面するのが「呼び名」の問題です。
「フリーランス」と「個人事業主」。
世間では混同されがちなこの二つの言葉ですが、私たちのように長年、法律や規則に基づいて仕事をしてきた人間にとっては、その定義の曖昧さが非常に気持ち悪く感じるものです。実はこの二つの違いを正しく理解することは、単なる名称の問題ではなく、「退職後の税金をどれだけ抑えられるか」「社会的信用をどう確保するか」という、実利に直結する重要なテーマです。
本記事では、元公務員であり会計実務の経験を持つ筆者が、法律や税務の観点から両者の違いを明確に解説します。そして、これから組織を離れるあなたが、どちらを選ぶべきなのか、その具体的な手続きとメリットについて詳しくお話しします。
フリーランスは「働き方」、個人事業主は「税法上の区分」
結論から申し上げますと、この二つは対立する概念ではありません。一番の違いは「どの視点で語っているか」です。
- フリーランス:特定の組織に属さず、案件ごとに契約を結んで仕事をする「働き方のスタイル」を指す言葉。
- 個人事業主:税務署に「開業届」を提出し、継続して事業を行っている個人という「税法上の区分」を指す言葉。
つまり、あなたは「フリーランスという働き方をする、個人事業主」になることも可能ですし、「開業届を出していないフリーランス」になることも可能です。
しかし、私たち元公務員が目指すべきは、間違いなく「きちんとした個人事業主」です。なぜなら、そこには現役時代の給与所得では受けられなかった、強力な税制優遇措置が用意されているからです。
この違いを曖昧にしたまま退職日を迎えてしまうと、本来払わなくて済んだはずの税金を納めることになったり、退職後の手続きで二度手間になったりと、手痛い失敗をする可能性があります。まずは、それぞれの定義を深掘りしていきましょう。
そもそもフリーランスとは何か?法的な定義の曖昧さ
フリーランスという言葉には、法律上の明確な定義はありません。一般的には、会社や団体と雇用契約(労働基準法上の労働者)を結ばず、業務委託契約などで仕事を請け負う人を指します。
公務員の世界で例えるなら、庁舎の清掃業務やシステムの保守点検を委託している業者さんや、専門的なアドバイスをもらう外部有識者のような立場に近いイメージです。
私たち公務員は、地方公務員法や国家公務員法によって身分が厳重に守られてきました。しかし、フリーランスにはその後ろ盾がありません。労働基準法の保護対象外となるため、最低賃金の保証もなければ、有給休暇もありません。その代わり、時間や場所、仕事の内容を自分で選べる「自由」があります。
定年後にKindle出版やブログ運営、あるいは現役時代のスキルを活かしたコンサルティングを行おうとしている場合、働き方としては「フリーランス」に該当します。しかし、それだけでは社会的な位置づけとしては弱く、ただの「無職」と見なされるリスクさえあります。そこで重要になるのが「個人事業主」という枠組みです。
個人事業主とは?「開業届」が分かれ道
個人事業主とは、継続して事業を行う個人のことを指します。ここでの最大のポイントは、税務署へ「個人事業の開業・廃業等届出書」(通称:開業届)を提出しているかどうかです。
私たち公務員にとって、「届出」はおなじみの手続きです。稟議書を回し、決裁を受けるプロセスを何十年も続けてきました。その感覚からすれば、税務署への届出など造作もないことですが、一般の方にはこれが高いハードルに感じるようです。
開業届を出すことによって、国(税務署)に対して「私はこれから事業として収益を上げていきます」と宣言することになります。これにより、あなたは単なる「定年退職した人」から、「事業主」へと社会的な属性が変わります。
屋号(お店や事務所の名前)を持つことができ、その名前で銀行口座を作ることも可能になります(銀行によります)。何より重要なのは、この手続きを行うことが、最大の節税メリットである「青色申告」へのパスポートになるという点です。
元会計担当が断言!公務員OBが「個人事業主」になるべき3つの理由
理由1:最大65万円の控除!「青色申告」という最強の盾
現役時代、給与明細を見るたびに引かれていた所得税や住民税。これらは「給与所得控除」という概算経費が引かれた後の金額に対して課税されていました。しかし、個人事業主になると、この仕組みがガラリと変わります。
開業届と一緒に「青色申告承認申請書」を提出し、複式簿記(正規の簿記の原則)で帳簿をつけることで、所得から最大65万円を控除することができます。
「複式簿記なんて難しそうだ」と感じるかもしれませんが、公務員の事務処理能力があれば全く問題ありません。最近は優秀なクラウド会計ソフトがあり、家計簿感覚で入力するだけで、必要な帳簿が自動作成されます。
年間65万円の所得を「なかったこと」にできる効果は絶大です。所得税率と住民税率を合わせて仮に20%だとすれば、これだけで年間13万円の手取りが増える計算になります。これは、再雇用制度で提示される薄給を補うための重要な防衛策です。
理由2:経費の概念が変わる!生活費の一部が事業経費に
公務員時代、仕事で使うスーツや靴、自己研鑽のための書籍代などは、基本的に自腹でした。「特定支出控除」という制度もありましたが、要件が厳しく、実際に使っている職員はほとんどいなかったはずです。
しかし、個人事業主になれば、事業に関係する支出は「経費」として売上から差し引くことができます。
例えば、Kindle出版のために購入した参考図書、執筆に使ったカフェ代、パソコンの購入費、インターネット通信費の一部、自宅を仕事場にするなら家賃や電気代の一部(家事按分といいます)も経費計上できる可能性があります。
もちろん、事業と無関係な私的な支出を経費にすることは脱税になります。しかし、元会計担当のあなたなら、「公私の区分」を明確にし、領収書を整理して証拠を残すことの重要性は十分に理解されているはずです。この「正しく経費を使う」スキルこそが、手元に残るお金を最大化する鍵となります。
理由3:社会的信用の確保と「無職」回避
定年退職後、最も精神的にくるのが「肩書きがなくなること」です。今まで「〇〇省の鈴木補佐」「〇〇県庁の鈴木課長」として扱われていたのが、ただの「鈴木さん」になります。(仮名です。)
再雇用を選ばなかった場合、社会的には「無職」となります。クレジットカードの審査が通らなくなったり、賃貸契約が難しくなったりすることはよく知られていますが、それ以上に精神的なダメージが大きいものです。
しかし、開業届を出して個人事業主となれば、職業欄には堂々と「自営業」や「執筆業」「コンサルタント」と書くことができます。名刺にも屋号を入れられます。
「定年後はフリーランスで気ままにやっています」と言うよりも、「個人事業主として、執筆業とコンサルティング事務所を経営しています」と伝えた方が、元公務員としてのプライドも保たれ、周囲からの信頼も得やすくなります。特に私たちのような年代にとって、この「体裁」は意外と馬鹿にできない精神安定剤となるのです。
定年退職前後の手続きロードマップ(実践編)
公務員在職中に開業届を出してもいいのか?
ここで非常に繊細な問題が生じます。「在職中に開業届を出して、準備を進めたい」という気持ちになるかもしれませんが、これは慎重になる必要があります。
公務員には、地方公務員法第38条(国家公務員法第103条・104条)による「営利企業への従事等の制限」があります。任命権者の許可なく、営利企業を営んだり、報酬を得て事業に従事したりすることは禁止されています。
開業届を出すこと自体が直ちに処罰の対象になるかというと、実際に収入が発生していなければグレーゾーンとも言えますが、無用なトラブルを避けるため、「退職日の翌日以降」に提出するのが最も安全で確実な正攻法です。
特に私たちのように真面目に勤め上げてきた人間にとって、最後の最後に懲戒処分のリスクを負うことはナンセンスです。在職中は、あくまで「準備」に徹しましょう。構想を練る、ブログの下書きを貯める、Kindleの原稿を書く(出版は退職後)といった作業は、個人の趣味の範囲として問題ありません。
退職翌日にやるべきこと:税務署への提出書類
晴れて退職辞令を受け取った翌日、あるいは4月に入ってから、管轄の税務署へ向かいましょう。提出すべきは以下の2点です。
- 個人事業の開業・廃業等届出書(開業届)
- 所得税の青色申告承認申請書
この2枚はセットで提出するのが鉄則です。特に「青色申告承認申請書」には提出期限(原則として開業日から2ヶ月以内)があり、これを逃すとその年は白色申告しかできなくなります。必ず同時に出してください。
最近は、国税庁のサイトや会計ソフトの無料サービスを使って、自宅で書類を作成し、e-Taxで送信することも可能です。わざわざ税務署に出向く必要さえありません。しかし、最初の記念として、そして「けじめ」として、直接窓口へ提出しに行くのも良い経験になるでしょう。控えに収受印を押してもらうと、「これから事業主としてやっていくんだ」という実感が湧いてきます。
失業保険(雇用保険)との兼ね合いに注意
ここで一つ、重要な注意点があります。公務員には雇用保険が適用されないため、いわゆる「失業手当」はありません。その代わり、退職手当(退職金)が手厚く支払われています。
しかし、もしあなたが再任用や民間企業への再就職を経てから退職し、雇用保険の受給資格を得ている場合、または公務員でも非常勤等で雇用保険に入っていた場合は話が別です。
雇用保険の失業給付(基本手当)は、「就職しようとする積極的な意思があり、いつでも就職できる能力があるにもかかわらず、職業に就くことができない状態」にある人が対象です。
つまり、開業届を出して「個人事業主」になると、「就職する意思がない(自営するから)」と見なされ、失業給付を受けられなくなる可能性があります。
私たち定年退職組の正規職員公務員の場合、そもそも失業給付の対象外であることが多いため、この心配は不要なケースが大半です。退職金をもらって、すぐに開業届を出して問題ありません。自分の受給資格については、退職前に人事担当箇所で必ず確認しておきましょう。
年金と健康保険:組織を離れた後のリアルなお金
恐怖の「国保」負担増をどう乗り切るか
現役時代、共済組合の健康保険証を使っていました。保険料は給与天引きで、事業主(国や自治体)が半分負担してくれていました。しかし、退職後は以下の3つから選ぶことになります。
- 任意継続:共済組合の保険に最長2年間継続して加入する。ただし、事業主負担がなくなるため、保険料は現役時代の約2倍(上限あり)になる。
- 国民健康保険(国保):お住まいの自治体の国保に加入する。前年の所得に基づいて計算されるため、退職直後は保険料が非常に高額になることが多い。
- 家族の扶養に入る:配偶者が働いていて社会保険に入っている場合、その扶養に入る。保険料負担はゼロ。
年収850万円の鈴木さん(仮名です。)の場合、退職直後の国保保険料は上限額近くになる可能性が高いです。多くの公務員OBは、「任意継続」を選択します。任意継続の保険料には上限が設けられていることが多く、前年所得がどんなに高くても一定額で止まるからです。
まずは、共済組合の担当者に「任意継続の月額保険料」を試算してもらい、お住まいの自治体の窓口で「国保の試算」をしてもらいましょう。その上で安い方を選ぶのが、会計的視点からの正解です。
なお、個人事業主として開業しても、従業員を雇わない限り社会保険(厚生年金・健康保険)には加入できません。したがって、基本的には国保か任意継続のどちらかになります。
「第3号被保険者」問題:妻の年金はどうなる?
鈴木さん(仮名です。)の奥様が専業主婦で「第3号被保険者」として扶養に入っているなら、注意が必要です。
60歳で定年退職し、もし再就職せずに個人事業主(国民年金の第1号被保険者)になった場合、60歳未満の奥様も「第1号被保険者」となり、国民年金保険料を自分で納める必要があります。
しかし、鈴木さんは現在58歳。定年時には60歳になっています。国民年金の加入義務は60歳までですので、鈴木さん自身は原則として国民年金保険料を払う必要はありません(納付月数が480月に満たない場合などを除く)。
問題は奥様です。もし奥様が年下で60歳未満であれば、鈴木さんが退職して共済組合を抜けた時点で、奥様は第3号被保険者の資格を失います。奥様自身で国民年金の手続きを行い、保険料を納める必要があります。
「退職して自由だ!」と喜んでいる裏で、こうした手続きを忘れると、将来の年金額に影響が出ます。現役時代に培った几帳面さを活かし、こうした手続きこそ漏れなく行いましょう。
インボイス制度はどうする?Kindle出版と消費税
売上1,000万円以下の免税事業者でいるべきか
個人事業主になると避けて通れない話題が「インボイス制度」です。
結論から言うと、Kindle出版やブログのアフィリエイト収入、小規模なコンサルティングを主軸にするのであれば、当面はインボイス登録をせず、「免税事業者」のままでいるという選択肢が有力です。
基準期間(前々年)の課税売上高が1,000万円以下であれば、消費税の納税義務が免除されます。これを「免税事業者」といいます。
インボイス登録をして「適格請求書発行事業者」になると、売上が1,000万円以下でも消費税の申告・納税義務が発生します。
Kindleのロイヤリティ(印税)については、Amazon側がインボイス登録を必須としていないので(※規約は変更される可能性があるため、常に最新情報を確認してください)、現時点では免税事業者のままでも大きな不利益を被ることは少ないと考えられます。
対企業(BtoB)でコンサルティングや講演を行う場合は、「インボイス登録していないと発注できない」と言われる可能性がありますが、まずは事業が軌道に乗るまで、複雑な消費税申告を避ける意味でも免税事業者としてスタートするのが賢明な戦略と言えます。
公務員マインドからの脱却:成功する個人事業主の条件
「許可を待つ」から「自分で決める」へ
公務員時代、私たちは常に法律や条例、規則、上司の決裁に基づいて動いてきました。前例踏襲が安全であり、独自の判断はリスクでした。
しかし、個人事業主の世界では、誰も指示を出してくれません。いつブログを書くか、どんな本を出版するか、価格をいくらにするか、全て自分で決めなければなりません。
「これで大丈夫だろうか?」
「誰かに怒られないだろうか?」
そんな不安がよぎることもあるでしょう。ですが、法律に触れない限り、あなたの事業は自由です。平日の真ん中にツーリングに行き、旅先で撮った写真をブログに載せ、その経験をKindle本にする。それが立派な「事業活動」になるのです。
正確な実務能力こそが最強の武器
「公務員にはビジネススキルがない」などと揶揄されることがありますが、私はそうは思いません。
公務員が培ってきた「文書作成能力」「法令順守の精神」「正確な事務処理」「納期を守る責任感」は、フリーランス・個人事業主の世界では稀有な能力です。
世の中の多くのフリーランスは、契約書が読めなかったり、請求書に不備があったり、納期を平気で遅れたりします。そんな中で、元公務員のあなたが当たり前のように質の高い文書を納品し、完璧な請求書を発行すれば、それだけで「この人は信頼できる」と評価されます。
あなたが長年苦しんできた「お役所仕事」のスキルは、外の世界に出た瞬間、強力な差別化要因(USP)に変わるのです。
まとめ:退職後の「肩書き」は自分で作る
最後に要点を整理しましょう。
- フリーランスは「働き方」、個人事業主は「税務上の立場」。
- 元公務員は、節税メリットの大きい「青色申告」ができる個人事業主を目指すべき。
- 開業届は退職日の翌日以降に提出するのが安全。
- 健康保険は「任意継続」と「国保」を比較して安い方を選ぶ。
- インボイスは焦って登録せず、事業規模を見極めてから判断する。
定年退職は「終わり」ではなく、組織という殻を破って「個」として羽ばたくためのスタートラインです。
再雇用の給与明細を見てため息をつく未来ではなく、自分の名前で仕事をし、適正な報酬を得て、堂々と税金をコントロールする未来を選びませんか?
手続きは何も怖くありません。何千枚もの稟議書を通してきたあなたなら、開業届一枚など朝飯前です。
まずは、退職後のカレンダーに「税務署へ行く日」を書き込むことから始めてみてください。それが、あなたの新しい人生の記念日になるはずです。


コメント